NHK NEWS WEBより
がん医療 独自の主張でベストセラー 医師の近藤誠さん死去
2022年8月14日 22時17分
独自の主張でがん医療の在り方に一石を投じた医師の近藤誠さんが13日に亡くなりました。73歳でした。
近藤さんは1948年に東京都で生まれ、慶応大学医学部を卒業後、慶応大学病院でがんの放射線治療を行い、
乳がんの治療で乳房全体を手術で切除することが多かった1980年代に、乳房を温存する治療法を提唱しました。
その後1996年に出版された著書『患者よ、がんと闘うな』はベストセラーになり、独自の主張でがん医療の在り方に一石を投じることとなりました。
関係者によりますと、近藤さんは13日、出勤途中に突然体調を崩し、搬送された都内の病院で虚血性心不全のため、亡くなったということです。
医師で菊池寛賞の近藤誠氏死去 「医者に殺されない47の心得」
共同通信8/15(月)0:20
近藤 誠氏(こんどう・まこと=医師)13日午前、虚血性心不全のため東京都渋谷区の病院で死去、73歳。東京都出身。葬儀は近親者で行う。
慶応大病院でがんの放射線治療を専門とし、80年代から乳房温存療法を提唱した。
多数の著書を執筆し、96年の「患者よ、がんと闘うな」、12年の「医者に殺されない47の心得」はベストセラーとなった。
がん治療の先駆的意見を発表したとして、同年に菊池寛賞。13年には「近藤誠がん研究所・セカンドオピニオン外来」を設立した。
関係者によると、13日の出勤中に突然体調を崩し、搬送先の病院で死亡が確認されたという。
医師の近藤誠さん死去、73歳=「患者よ、がんと闘うな」著者
読売新聞 2022/08/15 11:46
© 読売新聞 近藤誠さん(2013年9月撮影)
医師の近藤誠(こんどう・まこと)氏が13日、虚血性心不全で死去した。73歳だった。告別式は近親者で行う。
慶応大医学部卒。同大病院でがんの放射線治療に取り組み、1980年代から乳房を温存する乳がんの治療法を提唱した。
抗がん剤の弊害などを強調する独自の主張を載せた著作「患者よ、がんと闘うな」がベストセラーになったが、がん専門医から「科学的根拠に欠ける」などと反論が続出し、論争になった。2012年に菊池寛賞を受賞した。
きょうも「すぐ治療しないと大変なことになる」「手術や抗がん剤治療をしないと余命○カ月」と宣告されたがん患者さんが、何人も駆け込んでみえました。
医者たちは「がんを治療しないとどうなるか」を知りもしないで、脅しているのです。本物のがんを切ったら暴れるリスクや、抗がん剤は固形がんに効かないことを隠して。
また、今までに私がセカンドオピニオンをあずかった10000人の大半は、短すぎる余命を言われ、治療を迫られていました。
そうして無数の患者さんが、手術の後遺症や抗がん剤の副作用に苦しみ、命を縮めて、「まさかこんなことに」と嘆いています。
高血圧や糖尿病などについても、クスリの副作用や後遺症、ボケたり早死にする事実が隠され、数千万人が危険でムダなクスリを飲み続けています。
私はがんを「治療する」「様子を見る」それぞれの見通し、最良と思える方向性、高血圧や慢性病のクスリの減らし方、心の問題などのご相談を受けています。
患者さんが穏やかに長生きできるよう、中身の濃い相談を心がけてまいります。詳細はこちら
東京・青山「国連大学」裏手の当所で、近藤誠本人がうけたまわります。
診療情報や患部の写真、画像データ、紹介状などがお手元にあるかたは、なんでもお持ちください。データは当所のパソコンで、まれに開けないことがあります。
診療情報がなくても相談をお受けしますが、あった方がより具体的にお話でき、相談後の満足度も高くなるはずです。
診療情報を新たに得る場合は、今かかっている病院に「セカンドオピニオンを受けたいので、最新の診療情報と画像データをください」とご請求ください。もめたら「患者の権利として、診療情報を得たい」と、堂々とおっしゃってください。
診療時間、セカンドオピニオン料金など、詳しくは「予約の流れ」をご覧ください。
自由診療なので、ご家族のみや、友人・知人などからのご相談もお受けできます。充実したセカンドオピニオンになるよう、ご質問をたくさん用意して、いらしてください。なお、直メール、電話、FAXでの治療のご相談は、お受けしておりません。
事前に「近藤誠のメッセージ」、YouTubeのチャンネル、「近藤誠の重要医療レポート」、『がん放置療法のすすめ』(文春新書)、『がんの逆襲』(エクスナレッジ)などで基本方針をご確認ください。
※あとで相談内容を聴き返せるよう、録音機をお持ちになるか、スマホの録音機能をご利用ください。なお、録画はご遠慮ください。