近藤誠がん研究所

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治療の真実を知ろう!

近藤誠
重要医療レポート

REPORT 019

死なないがんの代表格:
前立腺がん

前立腺がんでは死なない、というのは、健康診断の採血検査をきっかけに発見される、いわゆる「PピーSエスAエー発見がん」は放っておいても(ごく少数の例外を除き)死ぬことがない、という意味です。現在、前立腺がんの圧倒的多数は、このPSA発見がんです。

PSAは、「前立腺特異抗原」と呼ばれる、前立腺組織から分泌されるタンパク質です。前立腺がん細胞からも分泌されるので、血液検査でPSA高値の場合に、「生体検査」(=生検)で組織を採取して顕微鏡で調べると(=病理検査)、よく「がん」が見つかるのです。がんが見つかる率は(年齢にもよりますが)、100人中、3人以上にもなります。

PSA発見がんを治療しないで放置した場合、どれほどの割合が死ぬのか、死なないのか。それを教えてくれる研究があります。発見した前立腺がんを放っておいた場合と、治療した場合に分けた「比較試験」です。その結果を紹介しましょう。

試験は1999年から2009年の間に、英国で実施されました。50 ~69歳の男性、計8万2千人余がPSA検査を受け、2664人(3.2%)が前立腺がんと診断されました。PSA値は「20」未満です。

そのうち1643人が比較試験への参加を承諾し、くじを引くようにして3グループ(各群550人ほど)に分けられました。すなわち、
放置・経過観察グループ
手術(前立腺全摘術)グループ
放射線治療グループ
 の3群です。そして、その後の経過を調べています(半数が10年以上)

すると、最も大切な指標である、がん、心筋梗塞、事故などすべての死因をふくんだ「総死亡数」は、どのグループも55人~59人で、違いなしでした。

は、総死亡数の次に重要な、前立腺がんによる死亡数(がん治療に起因する死亡をふくむ)です。これも3群で変わりなし、という結果でした(N Engl J Med 2016;375:1415)

予備知識なしに図を見ると、やや太めのグラフ(生存曲線という)が1本あるように見えますね。しかしこれは、3本のグラフが重なったものなのです。つまり①手術(前立腺全摘術)グループ、②放射線治療グループ、③放置・経過観察グループの生存成績に違いがないから、3本のグラフが重なってしまい、1本のように見えるのです。

図 前立腺がん特異的生存率(Prostate-Cancer-Specific Survival つまり前立腺がんで死なない率) 
出典:N Engl J Med 2016;375:1415

図中用語の説明:
Surgery:手術、Radiotherapy:放射線治療、Active Monitoring:放置・経過観察
縦軸:生存率(前立腺がんで死なない率)
横軸:経過観察期間(年)

この3本のグラフは、横軸と平行して走っており、前立腺がんではほぼ誰も死なないことを示しています。死亡した実数を見ると、この期間中に各群とも5~10人です。各群の患者数は約550人なので、前立腺がんによる死亡率は約1%になります。

この、前立腺がんで亡くなる1%の人たちがどういう特性をもつのかは、いずれ本シリーズで検討しますが、ここでは、残りの99%について考えてみます。

前立腺がんが放置されても患者本人が死なない最大の理由は、PSA発見がんが「潜在がん」だからです。

潜在がんとは、生前なんの症状もなかった人が何かの原因で亡くなったときに「解剖」すると見つかるがんのことです。高齢者はほぼ例外なく、どこかの臓器に潜在がんが見つかりますが、前立腺がんが最多です。

前立腺がんが見つかる頻度は、60歳代は50%、80歳代は87%にものぼります(Eur Urol 2005;48:739)

ところが日本の男性で前立腺がんで亡くなる人は1%にも満たない。PSA検査が存在しなかった1975年には、男性死因のわずか0.3%でした。

以上の数値を理解しやすくするため、1000人の日本人男性が何かの原因で死亡したとします。

死亡する日本人男性の9割が60歳以上ですから、潜在がんの頻度から推して、1000人の死亡者のうち500人をはるかに超える死亡男性が、前立腺の潜在がんを持っていたことになります。

この場合、もし潜在がんに人を死なせるような性質や勢いがあるなら、前立腺がんによって死亡した人数も、何百という数に上るはずです。

ところが実際には、1000人の男性死亡のうち1975年には、前立腺がんで死亡したのは、わずか3人。一方、PSA検査が普及した2019年には、1000人の男性死亡のうち、17人が前立腺がんで死亡しています。

この2019年の死亡数には、PSA検査でがんを発見されたために、手術や抗がん剤で治療死した人も含まれています。もっと長生きできたはずの人たちが、PSAで前立腺がんを発見されたために治療死しているわけです。

このようにPSA発見がんは、手術や放射線治療をしても生存率は全く変わらないのに、身体のダメージや生活の質の低下は甚大です。ホルモン療法や抗がん剤治療をされることも多くて、運が悪いとそれが命取りになる。

言葉を変えれば、医療世界の繁栄のために命を投げ出して貢献する存在が潜在がん患者といえます。

悔いを千載に残さぬよう、気をつけてください。

近藤誠

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